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カテゴリー お金May 09, 2008

なぜ子育てする女性の立場が弱いのか ID:1210340919 このエントリーを含むはてなブックマーク



 この記事を読んで、いろいろ考えてしまった。

「私、ここで結婚できますか?」と聞く女子大生、どう思います?:NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20080501/154864/

 なぜ今日本が少子化の一途を辿っているのか、子育てをする女性がこれほどまでに弱い立場なのか、根本的な原因はなんなのか。これまで漠然と考えていた事を文章にしてみた。最終的には私なりの解決策を提案する予定だ。少々長文だが、お付き合い願えれば幸いである。

■男性が家族を養うという構造

 これまでの日本において、男性は女性と子供を「扶養する」つまり、家族全員が食っていけるだけの収入を稼ぐ責任を持っていた。企業も女性より男性により多くの給与を支払うことでこれをサポートした。女性は結婚と同時に「寿退社」し、そのまま家庭に入っても、男性のみの稼ぎで一家全員が充分に食べていけたのである。

 企業からみれば、女性とは「いつかは子供を生む為に会社を辞めていく(可能性が非常に高い)存在」である。これは過去も現在も変わらない。女性社員に対する長期的な投資はどうしても「無駄」になる恐れがある。新入社員が充分に自立し、会社に利益を与えてくれる存在になるのに5年かかるとすると、それまでは基本的に会社としては固定費用のかかるお荷物でしかない。5年経った頃に「結婚しました」と言って辞められたのでは丸損なのだ。なんとか5年もったとしても、10年ぐらいしてから「子供ができたので辞めます」となるのでは、結局のところ同じである。

 もちろん、子育てがひと段落つく頃・・・最低でも1〜3年後に職場復帰するというシナリオはある。しかし、その間の空きを埋める為のコストは当然、それ以上にかかってしまう。

 男性と女性、同一給料で比較すれば男性の方が企業からみて「お得」なのはある意味当然なのである。かくして女性の給与は男性のそれに比べてかなり低い水準に抑えられてきた。これは何も、「安いなら使おう」というだけではなく、「ある日突然辞められても大丈夫な」事務的な簡単な仕事のみを女性に任せるようになったのだ。仕事の重要性は減り、給与も低くなる。

 この状況と、「男性が家族を養う」という仕組みがピタリと符合し、日本では長らくこの構造が続いてきた。男性は仕事に専念し、企業は安定した専従者を得、女性は安心して子育てに専念できた。

 こうして日本は高度成長期をそれなりに幸せに乗り切ってきた。
 かのように見えた。

■日本の女性は男性に依存しなければ生きられなかった

 しかし、この構造には弊害があった。まず、よく言われるように「働きたい女性」の存在を無視していた。子供を生まずに働き続ける女性は、男性より低い給与を甘んじる必要があった。辛い話だが、たとえ「私は生涯結婚しません、子供も生みません、働き続けます」と宣言した所で、企業から見れば口約束に過ぎない。企業から見た女性社員とは、「ある日突然子供ができたと言って辞めていくかもしれない存在」なのだ。

 こうして女性には「パートタイム」や「契約社員」という仕組みが用意されたが、給与水準は男性よりはるかに低い。フルタイムよりパートタイムの方が給与が低い理由を、「そりゃ、パートタイムの方が労働者側の自由度が高いからだろう」と捉える人もいるかもしれないが、それは厳密には違う。なぜなら、自由度が高いのは雇用側も同じだからだ。企業側は、必要な時間帯のみ、必要な分だけ人材を雇用することができる。労働時間の自由度については単にマッチングの問題であり、給与の大小には本来関係がない。

 では、なぜ給与が低いのか? 答えは市場原理である。パートタイマーになる人というのは、決して「自由な労働時間選択の権利を満喫したい」と考えている人ではない。子育てや家事に追われる女性にとって、パートタイマーしか選択肢がなかったのだ。彼女達にとってはこれは権利ではなく制約なのである。このような一方的な状況の為、自然と給与水準は下がってゆく。安かろうがそれしか選択肢が無いのだからしょうがない。企業はそこに付け込み、便利な労働力を求めた。

 さらに、日本の「男が家族を養う」という考え方が女性の給与水準低下に拍車をかけた。結婚した女性にとっては、多少給与が安かろうが、空いた時間を使って稼いだお金を「夫の収入にプラスして」、多少の家計の足しにできれば充分、という考え方の人も多い。つまり、彼女達にとってはその給与で自立して生活できる必要はないのである。

 こういう労働市場が存在すれば、当然女性の働く職場の給与水準は下がる。困るのは、結婚していない、独身女性達である。今度は男性ではなく、同じ女性が敵になる。いくら「私は結婚していないので、これでは食べていけない」と主張したところで、企業から見れば安い労働力があるのだから、その主張を聞く理由がないのだ。

 こうして女性は、「早く結婚して男に食わせてもらうしかない」状況へと追い込まれていく。日本の社会構造は、女性が男性に依存する事を強制してきたのである。余談になるが、これは現在起こっている熟年離婚問題に繋がっているように思う(実際には、金銭的な理由で結局離婚に至れないケースが殆どのようだが)。

■子育ての為に犠牲になる子供達

 こうした習慣は、男性の給料が保証されている限り、女性の子育てという面のみ見れば非常に安定していた。
 しかし、高度成長が終わりを告げると、状況が変わり始める。

 まず、男性であっても、一家を養うだけの給与を貰えないケースが出てきた。企業側にその原資が無いのだからしょうがない。そうなると当然、妻が働きに出る事になる。すると、先ほどのパートタイム市場に労働力が押し寄せる事になる。そしてさらに給与水準が下がって行く。

 低い給与水準を埋める為に、女性達は時間を削って労働につぎ込んだ。何の時間を削ったか。子育ての時間である。

 生後3ヶ月から子供を早期保育制度を利用して保育園に預け、パートに出かける。早期保育制度は高額な為、下手をするとパートの収入が全て保育園で消える事になりかねない。それでも預けて働きに出るのは、預けないで自宅に居れば収入はゼロだが、預けて働きに出れば、例え月1万円でも収入になるからである。もちろん中には「一日中自宅にこもって子育てしていると憂鬱になってくる」などのストレスも理由にはあっただろう。しかし、誰が好き好んで自分の子供を一日中保育園に預っぱなしにしたいと思うだろうか。男性には理解できないかもしれないが、女性の子供に対する想いとは男性のそれよりも非常に強い。

 子育てをする為に、子供を保育園に預けて働きに行く・・・このような矛盾が今、日本全国そこらじゅうで起きている。

(矛盾と言えば、保育園で働く女性の保育士さんは物凄い矛盾を抱えているように思う。彼女達は、あまりの忙しさに家庭を犠牲にすることを強いられている。彼女達は、もし結婚して子供が生まれても、自分の子供の面倒を十分に見る事すらできないのだ。実際、子供が生まれると一旦退職を余儀なくされるという話を良く聞く。子育て支援の為の組織で働く人間が子供を安心して生めないという矛盾に晒されている)

■「働く女性」それは女性を辞めるという事

 このような状況で、男女共同参画運動が成果を結び始め、「女性にも男性並の給与を」という流れが現実味を帯びてきた。これは市場原理ではなく、国政による誘導である。企業は、嫌な言い方をすれば「仕方なく」女性を男性と同じ条件で雇わざるをえなくなってきた。

 これまで低い給与で我慢しつづけてきた、「結婚しない、子供も生まない」という女性達の出番である。彼女達は喜んで、「自分達は男性と同じ、いやそれ以上に役に立つ」ということをアピールした。実際そのような人材は少なからず存在し、企業も「これまで隠れていた女性という人材の魅力」に気づき始めた点もあろう。

 しかし、それでもやはり、基本的には「性差」が如実に成果に現れる職場というのはそれほど多くなく、結局は「子供ができたので辞めます」又は「休職させてください」という状況は、女性にとってマイナス要因となる為、企業から見れば女性は(同じ給与水準ならば)「なるべく採用したくない」ことに変わりはなかった。

 女性側もそれを敏感に感じたのであろうか、キャリアウーマンと呼ばれる人達には、男顔負けにバリバリ働くという人が少なくない。「働きマン」などが受けたのもそういう背景からではないかと思う。彼女達は「男性以上に」働けることを積極的にアピールする。そうしないと会社の居心地が悪い。たとえ結婚しても完全にフルタイムで働き、帰ってからさらに家事をこなすのだ。もし子供が生まれても、1ヶ月で職場復帰し、子供を預け、フルタイムで働き続けるのである。

 しかし実際には、子供が生まれるとフルタイムで働くのはほとんど無理ということに気づく。
 これは子供が生まれないとなかなか気づかない事だと思うのだが、子供というのは非常に簡単に病気になるのだ。月に2〜3度の高熱はザラ。病気になった子供を基本的に保育園は預かってくれない。病児保育制度を用意している保育園もあるが、まずは病院につれていかなくてはならない。その為にはかなり頻繁に会社を休む必要があるのだ。

 夫の力を借りるにも限界がある。そもそも、男性と女性では、子供に対する想いの強さに大きな違いがある。父性より母性の方が、子供に対する想いが強いのだ。この理由の一つとして、イギリスの行動学者リチャード・ドーキンスは「母親は自分の子供が生まれる瞬間を必ず見ている為、その子供がわが子であるという確信を100%持てるが、父親は必ずしもそうではないというのがあるのではないか」と指摘している。全ての生物はDNAを次の世代へと引き継ぐ為の最適な行動を取るという理論から考えると、目の前の子供が自分の子供かどうかという確信が強ければ強いほど、その子供を守る動機付けになるというのだ。また、子供のDNAは父親と母親から半分づつ受け継ぐと思われているが、それ以外にもミトコンドリアDNAというものがあり、これは母親からのみ100%受け継がれる。つまり、子供のDNAというのは、ミトコンドリアを通常のDNAと同等と考えるなら、父親から1/3、母親から2/3を受け継いでいるのである。こう考えると、母親の方が子供と強いつながりを持つ理由も納得が行く。父親にとっては、目の前の子供を守っても自分の1/3しか守れない。それよりも、どんどん他の女性とくっついて新しい子供を作り続ける方が自分のDNAを後世に伝えていける確率は高まるのである。(余談すぎて本筋とズレるので削除しました)

 まぁ、そのような難しい話をせずとも、女性にとっての妊娠、出産、授乳といった営みは男性に取って代われるものではないのは明らかだ。それだけでも、女性と子供の繋がりは男性のそれよりはるかに強い。

 結局のところ、男女共同参画で「男性にも保育への積極的参加を!」と呼びかけた所で、多くの場合限界があるのである。最終的に子育ての負担の多くは女性(母親)が被ることになる。

■結婚や子育ては女性にとって「リスキー」でしかない

 ここまでくれば、もう分かると思う。
 つまり、現代において、結婚すること、子育てをすることというのは、女性にとって非常にリスキーなことになってしまったのだ。

 昔だったら、結婚をしないままでいることの方がむしろリスキーな面があった。何しろ女性の給与というのは「男性の給与の足しにするもの」だったのだから。

 しかし今は、結婚せずに子供も生まずにいれば、男性と同じように働くことができ、一人で生活するだけの給与を貰える機会が存在している。そんな状況で、どうして結婚しなければならないのか?

 女性の晩婚化が進み、結婚しても子供を生まない家庭が増えているのは当然だろう。
 
 日本の人口は、このまま行くと2050年には日本の労働者人口は現在より36%、2400万人減少すると言われている。2050年と言えば、今の30代が70代になる頃である。その頃に自分達を支えてくれるはずの労働者がこんなに少なくなれば、痛い目を見るのは自分達だ。
 
 当たり前であるが、私は、彼女達を非難する気にはなれない。彼女達は当然、子供が欲しいと思っている人がほとんどだ。それが母性というものだからだ。しかし、子供を生んでも彼らを幸せにする自信が持てないから、産まないだけなのだ。

 悪いのは男女共同参画というわけでもない。女性にとっての働く権利はもちろんある方が良いに決まっている。

 私が問題だと思うのは、男女共同参画が「安心して子育てできる環境作り」の対策として「女性が働く」事を前提としかしていない点である。
 保育所の整備や雇用機会均等推進など、全ては「働く女性でも子育てできるように」という配慮ばかりなのだ。

 しかし、この文章で何度も書いているように、子供は簡単に病気になる弱い生き物である。基本的に母親が恋しい。いくら延長保育制度を拡充したところで、保育園に夜の7時まで残っていて「楽しい」と思える子供がいるだろうか? 学童保育を用意したところで、夜ご飯の時間になるまで家に誰も居ない状態で、子供が幸せだろうか?

 それよりも何よりも、そのような状態を母親自身が望んでいるのだろうか?

 そう、それこそが問題なのだ。男女共同参画では、「子育てに専念したい」という母親に対するフォローをしていない。あくまで働きながら子育てをする女性への支援ばかりだ。もちろん、子育てより働く事を優先したい女性が存在していることは知っている。しかし、それよりも圧倒的に多いのは、子育てにじっくり専念したい母親達なのではないだろうか。

 とはいえ、男女共同参画の推進メンバーが、主にキャリアウーマン達であったことを考えると、この現状はある意味仕方がないと思う。彼女達は自分達の為の戦っただけなのだから。

■今の社会制度に足りないもの

 つまり、今の社会制度には何が足りないのか?

 男女共同参画とは別に、「子育てに専念したい母親」を支援する仕組みが必要であろう。「働きながら子育てをする女性もいるのに、そんな身勝手な」という意見もあるかもしれない(当の女性側からその意見があるのが困ったものだ)。しかし母親というのは基本的に子育てに専念したい生き物なのである。それを踏まえず「働きなさい」と言った所で、「じゃあ子供産みません」となるだけだ(実際そうなっている)。

 そうなった時に困るのは我々自身なのだから、これは勝手だとかそういう話で捉えても仕方がない。そして何より、現実問題として子育ては働きながら両立するのは「非常に大変」なのだ。前述した通り、子供にとっても幸せとは言いがたい。「自分は働きながら子育てもしている。大変だが我慢している。だから貴女も我慢すべきだ」という意見は、不幸の連鎖を生むだけではないだろうか。

 では、具体的にどうすべきだろうか。
 今、子育てをする女性が負担を一身に背負っている。その負担を国民全体で分担するようにしなければならないだろう。それが国家というものであり、社会制度というものだ。我々はお互い助け合う事で全体として最大の利益を得る為に群れているのだから。

 「子育てをしている女性」以外の全ての人間(もちろん一部の弱者は除く)で、彼女達の生活を負担すれば良い。これはベーシックインカム(BI)の考え方と少し似ているが、BIと違うのは、子育てをしている人にしかそれを受給する権利が無い点である。そしてその受給額は、「母親と子供が、一切働かなくても生活できるだけ」の金額となる。もちろんこの「母親」が、母親でなく父親であっても構わない。とにかく、子育てに責任を持つ大人一人が、「母親」として生活費を受給できるようにする。

 これは「母親年金」という考え方である。

 個人的には、なぜこの制度が未だに検討すらされていないのか不思議でしょうがない(もちろん財源の問題があるのだろうが)。母親というのは、何度も言っているように、母親の特性的にも子供特性的にも子育てに専念せざるを得ない事がほとんどであり、彼女達が単独で自立して生活することはまず不可能である。であるにも関わらず、彼女達は自分の夫に助けて貰うか、母子手当を当てにしつつパートで働くなど、殆ど自己責任を強制されている。

 結婚して子供を産んだ後、夫の態度が豹変した・・・そんなシナリオは、女性にとって恐怖以外の何者でもない。離婚しても待っているのは子供を預けて働くシングルマザー。我慢して結婚生活を続けても、夫との不幸な毎日が続く。そんなリスクを負ってまで、どうして子供を産みたいと思えるだろうか?

 しかし、母親年金制度があれば、このような不幸はなくなる。
 母親年金は「母親」に対して支払われる為、離婚しても子育ての期間中は生活の不安はない。女性は男性に対して、これまでのように一方的に不利な立場に立たなくて良くなるのである。

 尚、私はなにも、離婚を推奨している訳ではなく、女性が安心して子供を産める環境を作りたいだけである。その点は誤解しないで頂きたい。男性が、「そんな権利を母親に与えたらすぐに離婚されてしまうんじゃないか」と考えるのはナンセンスだということぐらいは、皆さんもすぐお気づきだろう。

■男性にも自由な生き方を与える「母親年金」

 むしろこの制度は、男性にとっても大きなメリットを産む。そう、もはや男性は、「うちは子供を抱えているから、無理してでも働かないと・・・」というプレッシャーから完全に開放されるのだ。残業も無理にしなくていい。多少賃金が減っても、母親年金があるのだから、最悪自分一人が食っていける額だけ稼げば充分なのである。
 
 母親年金制度は父親に対しては何も支払われないが、実質的に父親に家族を扶養する責任が大きくのしかかっている現在では、母親年金は父親への負担を大きく減らすことになるだろう。

 母親は、日本の未来を作ってくれる貴重な存在である。彼女達は自分の身を挺して日本の将来を育ててくれているのだ。そんな彼女達に、「子供産んだのは貴女でしょ? なら自分でなんとかしなさい」と言っているのが今の日本の社会だ。
 
 この制度は子供を持たない(持てない)家庭や一生独身で居たい人にはデメリットでしかないように思えるかもしれない。しかしそうではないのだ。国家というものは、子供を産むものが居なくなれば(当たり前だが)いずれ消滅する。自分が生きている約80年という期間だけ見ても、少子化によって自分を支える世代が少なくなるとしたら、その責任の一旦は自分も負っているのだ。そうなれば、「子供を作らない」という事が自分勝手な振る舞いだと言われる風潮が起きる可能性は高い。実際に、高齢者を支える若い世代を育てる努力をせずに、自分が高齢者になったらそのメリットだけ享受しようというのは、いかにもフリーライダー的な考え方ではないかと思う。
 
 しかし、母親年金制度があれば、独身や子供のいない家族も、その負担は税金という形で負っている事になる。そうなれば、そのことで後ろ指を指されることは無い。自分達は責任を果たしているわけだから。
 母親年金制度は、人々に多様な生き方を選択できるようにする制度なのである。

 もう一点、この制度は「子育てに専念したい母親の為の制度」としているが、実際には「子供を保育園に預けて働きに出たい」という母親に対しても有効だ。母親年金を保育料に充てた上で、その分だけ働く、というような選択ができるようになるからである。今のように、「保育料でパート代が消えてしまう。これでは生活できない。深夜のバイトを増やそうか」というように金銭面で思い悩む必要はない。やりたい仕事をやれば良い。

 このように、母親年金制度は多くの人々に幸せと充実をもたらし、国家の将来を安定させるだろう。

■財源はどうする?

 さて、最後に財源の話をしなければならない。
 この話が無ければ、どんないい話もファンタジーの領域を超えない。
 
 財源の話は魔法のようなことがあるわけでもなく、単純に増税、又は他の財源の移行という形を取ることになる。しかし、例え増税となったところで、多くの国民にとっては直接の負担が増えるわけではない。今子育てをしている家庭は、最悪でも「税金は上がったが代わりに母親年金が貰えるようになってトントン」という状況になるだけなはずだからである。もちろんそれでは意味がないので、子育てをしている人以外からより多く負担してもらうことになるだろう。子育てをしていない人であっても、いずれはそうなる可能性が高いのであるから、ほぼ全員が受益者となれる増税と言える。
 
 現在の人口分布を見ると、14歳以下の子供の数は平成19年10月1日時点で約1600万人程度のようだ。
 http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2007np/index.htm
 多少乱暴な計算だが、母親一人当たりの子供の数の平均を約2人と考えると、14歳以下の子供を持つ母親は、約800万人と推定される。
 
 母親1人+子供2人が一ヶ月生活するのに、最低15万円必要だとする。
 すると、15万円×12ヶ月×800万人=14.4兆円。
 
 14.4兆円の財源を毎年用意しなくてはならないことになる。
 単純に金額だけ見ると、結構大きいようにも思える。
 
 しかし、日本の国家予算は特別会計(非公開)も含めると200兆円とも400兆円とも言われており、全体の数%程度で日本の危機が救えるのであれば、これは良い投資ではないかと思う。
 
 非公開の特別会計予算をちょっと捻れば、この程度は捻出できそうなものなので、ぜひ国会議員の方々にはご検討頂きたいものだ。ねぇ、○○族議員の皆さん? ○○族議員はあっても、家族議員は居ませんかね?

■生命は大地が育む

 とはいえ、そこに期待してもしょうがない事は(悲しいけど)分かっているので、他の案も考えてみたい。

 母親年金の考え方は、私はドイツの経済学者シルビオ・ゲゼルの著作「自然的経済秩序」で知った。

 ゲゼルによれば、母親年金の財源は「地代」を充てるべきだという考えである。ゲゼルは「土地」を個人が所有する事は、個人間に格差を生み、ひいては搾取構造を生み出すと考えていた。これは共産主義とは異なる(ゲゼルは共産主義を「資本主義の双子」と批判している)。詳しい理論は省くが、ゲゼルは全ての土地を国有として、それを必要な国民に対して「レンタル」することで、レンタル料を徴収し、それを母親年金の財源に充てれば良いと主張した(これを「自由土地」と呼んだ)。なぜなら、土地こそが生命や富を生み出す源泉であり、子供を育てる為の財源は土地から生み出されるのが最も自然と考えたからである。

 その考え方はともかく、土地から子育ての財源を徴収するという考え方は悪くないと思う。具体的には固定資産税の見直しだ。
 
 子供を育てるには土地が必要だが、経済の効率とやらを追求すると、公園なんか作るより工場でも誘致した方が良いという結論になりがちだ。しかし、その工場を誘致した土地の税金が子育てに充てられるのであれば、フェアと言えよう。また、土地は全ての国民が生活の為に必要としているものであり、基本的には裕福なもの程多く所有、又は間接的に大きな利益を土地から得ている。生活に直結した、非常に平等な指標と言えるのである。
 
 余り詳しく調べたり考えたりした訳ではないが、現在の日本の全ての土地の評価額は、総額1400兆円程度だという(家屋も併せると約2300兆円)。
 つまり、土地の固定資産税に評価額の1%を追加するだけで、14.4兆円は賄える事になる(乱暴な計算だというのは承知だが、細かい話をしだせばキリがないので、大まかな所でご勘弁願いたい)。
 
 例えば評価額2000万円の土地に住んでいると仮定しよう。この固定資産税が評価額の1%増えるとすると、年間20万円の増税となる。対して母親年金は年間15万円×12ヶ月=180万円が支給されるわけだから、子育てをする家庭にとってはたいした負担ではないはずだ。これによって、本当に貧困にあえいでいる人は負担が増える事になり、それは問題だが、貧困にあえいでいる人は元々評価額の高い土地には住んでいないはずだし、貧困問題はまた別途対策を打つ事が必要だと思う。

 土地の固定資産税を増やすと日本から企業が逃げるとか言い出す人が居そうだが、それほど酷いことにはならないだろう。日本にある企業は土地の固定資産税が安いから日本にあるというわけではない。所得税の累進課税を強めると金持ちが国外に逃げるという話よりもまだ現実味が無いように思う(この話についても、私はそう簡単に金持ちが日本の住み心地を捨てられるとは思えない)。そんな事よりも、若い人材がどんどん減っていくという状況を放置しておいた方がよほど企業が日本から逃げていくのではないだろうか。

 個人的には、固定資産よりむしろ金融資産への課税を実現したいと考えているが、この話はまた深くなるので別途考えたい。

 このように、母親年金の考え方は財源的にも「荒唐無稽」という訳ではないように思う。
 いきなり母親年金を100%導入するのはインパクトが強すぎるとか、それまで15歳以上の子供を持つ母親が不公平感を持つとかいろいろあると思うので、そこは10年ぐらいかけて徐々に支給額を上げていけば良いと思う。年齢別のウェイトも必要だろう。
 
 民主党が子供一人当たり2万6千円の支給などの案を出しているようだが、そんな金額では根本的に足りない。母親を含めた「子育てをする生活」そのものを保障してあげる必要があるのだから。ちなみに民主党にこの政策を任せると、必ず出てくるのが「外国人への保障」だろう。この件は非常に複雑な問題だが、基本的には母親年金とは「未来の日本への投資」であることを考え、日本の未来にとって「在日外国人の母親とその子供」への保障が意味を持つのであれば検討すれば良い。しかし、そうでないのなら、そこは割り切るべきだろう。

■最後に

 ところで、こういった話をすると、「母親にお金渡しちゃったら、子供に使わずに自分のぜいたく品に使っちゃうんじゃないか」というような話が必ず出てくる。それこそパチンコで使っちゃったらどうするの、というような話だ。
 
 確かにそういう輩は出てくるだろう。しかし、大多数の親はそうではないと思う。そんな事をするのは、多く見積もっても全体の数%以下ではなかろうか。町内に100世帯住んでいたとしても、そういう悪辣な親の話は1件聞くか聞かないかぐらいだ。
 
 そんな少数の人間の為に、必要な政策をやらないのだとしたら、まさに本末転倒である。ほとんどの親は、自分達の子供と自分が食っていくので精一杯だ。まずは彼らを助ける事を考えなくてはならないと思うが、どうだろうか。

 子供と母親、そして父親がいつも笑っている日本であって欲しい。
 国会議員の皆さん、いや国民の皆さん、「母親年金」、本気で考えてみませんか?

【追記】

固定資産税の話のところで、「固定資産税のたった1%」という表記をしていましたが、これは「評価額の1%」の間違いでした。計算自体は間違っておりませんので、表記のみ修正しました。ご指摘くださったまさとしさん、ありがとうございました。

【追記2】5/10 19:30

 思っていた以上の反応で少し驚いております。よく考えたら母の日が近いんでしたね…;-)(関係ない?)。
 土日は子供の世話でなかなか自分の時間が取れず、じっくりと皆さんのご意見を消化することができないのですが、取り急ぎ何点か補足したいことがあったので、ここに追記します。

 この記事の主張は二つあって、一つは「子育てをする女性(又は他の大人)に対するフォローが日本には足りない」という指摘と、もう一つは母親年金という考え方の紹介です。これらはリンクはしますが切り離して受け取って頂ければと思っていたので、「後半はさておき前半は共感」というようなご意見はとても嬉しいです。

 それ以外にも、共感だけでなく異論・反論も多く、とてもありがたい事だと思っています。もちろん私からすると「それは誤解だ」とか「論点が違う」と思う事も多いのですが、恐らく単なる誤解だけではなく、皆さんの視点から見ればそれもまた正しいのだろうと思っています。記事を読む方は、はてなブックマークを始めとするSBMのコメントも併せて読んで頂ければと思います。このエントリを元に、皆さんがいろんな事を「感じて」くれればとても嬉しいです。

 ただ、それらの異論・反論について私からの再反論ではないのですが、共感してくれている方がそれらのコメントを読んで「ん?共感したことは間違っていたのかな?」と思ってしまうとしたら、私としても寂しいので、補足又は訂正としていくつか追記します。

■補足1:この記事は「女性は家で子育てをすべき」又は「子供は母親が育てるべき」という意見では「ない」

 私は「女性は子育てに専念したい生き物である」という意見を、ドーキンスの話と併せて書きました。これはたぶん余計だったのだろうと思います。
 女性をステレオタイプに定義するつもりはありません。単に、生物学的な性差があり、女性の方が子供とより強い絆をもつ傾向にある、という点を、少し科学ちっくに書いてみたかっただけです。ドーキンスの話は(もちろん)単なる仮説で、ヨタ話と捉えて頂いて結構です(ただ、私はそこそこいい視点だな、と思っているので紹介しました)。

 この部分の主旨は、「子育てをしたい女性もいることを忘れないで」という事です。それを強調したかっただけで、それ以外の意図はありません。ましてや「女性は家で子育てをすべきだ」という意見ではまったくありません。

 記事中にも少し書かれていますが、母親年金制度は、「子育てよりも仕事に力を注ぎたいが、子供は欲しい」という母親に対しても非常に有効な制度です。極端な話、やろうと思えば専用のベビーシッターを雇い、自分は海外に数ヶ月出張に行く、なんていうことも可能です。
 私はそれもまた有りだと思っています。そもそも太古の日本では子供は集落みんなで育てていたと聞きます。母親と子供という繋がりはもちろんあったでしょうが、子供はまとめてみんなで面倒を見ていたのです。中には子供の面倒をほとんど見ずに好き勝手していた母親も居たことでしょう。それでも子供はちゃんと育つことでしょう。

 子育てはもっと自由であるべきなのです。

■補足2:「子育ては母親一人ではなく社会全体で担うべき」というご意見について

 私もまったく同じ意見です。
 ところが今や子育ては母親一人に大きな負担がかかってしまっています。その為に、まずはそこを解消すべく、母親年金という制度を紹介しました。

 母親年金は「母親が子供を育てる責任を持て」という主旨ではありません。そうではなく、今、社会がそれを強制しているのなら、責任を果たす為の手段を与えるべき、という意見です。

 そしてここが肝心なのですが、母親年金によって、母親は育児から初めて自由になれるのです。おそらく、母親年金を財源とした様々な「育児ビジネス」が立ち上がるでしょう。これこそが本当の意味での「社会全体で担う子育て」ではないでしょうか。
 これは行政の押し付けではない、母親のニーズから生まれるビジネスです。なぜなら、財源を握っているのは当の母親だからです。この点が非常に重要で、これまで母親達は「決定権」を殆ど持っていませんでした。その結果がこの有様、というわけです。

 自由になった母親達は、自分達でビジネスを始めるかもしれません。それは育児ビジネスかもしれませんし、まったく無関係なビジネスかもしれません。
 真の意味での男女共同参画は、母親年金なくしてはありえないのではないかとすら思っています。

補足3:母親年金は、実の母親である必要はない

 これは自明だと思っていたんですが、もしかして誤解している人がいるかもしれないので…。
 名前で誤解を受けてしまうかもしれないので申し訳ないのですが、母親年金は「子育てに責任を持つ大人」が受給できる年金です。それは実の母親でなくとも、もちろん養子を取った人でもOKです。ただ、あまり簡単にその権利を譲渡できるようにしてはまずいと思います。基本はまず、母親、又は父親。彼女らが居ない、又は育児能力が無い、と判断される場合には、権利委譲などを考える必要があると思います。

【追記3】 5/11 20:00

たくさんのコメントありがとうございます。とても嬉しいです。

はてブコメントも含めて、論理の飛躍や主観的すぎるという点を結構ご指摘頂いていて、ご指摘通りだろうな、と我ながら感じます。(^^;

私はどちらかというと直観的なものが先にあり、理由を後からじっくり検討(検証)するという手法で物事を考える事が多いので、一般的には「ダメな文章」になってしまいがちなんだと思いますが、自分では結構気に入っています。まぁ、その時点でダメなんでしょうね…。

疑似科学云々のご批判についてはホント、うかつすぎたなーと反省しきりです。好きなんです、ドーキンスが。ただそんだけで(汗) へー、面白い話だねーって言ってもらえればというくらいの気持ちで、これを根拠にしているという話では全然無いので、どうかご容赦を・・・。気分を害した方は申し訳ありませんでした。ドーキンス自身にも失礼な引用だったと反省しています。

父親の子育て参加については、そういえばまったく取り上げていませんでしたね。父親の子育ては、たぶん母親年金によって結果的に推進される事になるだろうと考えています。そもそも、父親だって子育てに参加したいと思っている人は多いと思いますので(私は父親です)。

「母親年金」という名称については、今実際に導入するとしたら皆さんご指摘の通り別の名称にしなくてはならないと思います。シルビオ・ゲゼルのアイデアとしてご紹介しているので、元のアイデアのままの名称を使わせて頂きました。あと、割とキャッチーというか、問題の本質を言い当てているという点でもいいかな、と。実際に導入する際の良いネーミングとか、どなたかありませんか?(はてブでもいくつかアイデアがあって、どれも良いですね)

一番伝えたかった「子育てをする母親をサポートすべき」という主旨は結構賛同して頂ける人が多かったようで、それだけでもう充分です。このような乱筆にも関わらず主旨にだけは賛同して頂けたりと、皆さんホント優しいです。ありがとうございます。

私は主張はなるべく具体性を持たせないと伝わらないという考え方なので、幼稚なアイデアだという自覚はありましたが敢えて具体化させて頂きました。具体化の部分でおかしいと思う部分はどんどん修正・改善して頂き、どうかこの「思い」を実現する方法を皆さんで考えて頂ければと思います。

以上、これにてこの記事への追記を締めさせて頂きたいと思います。皆さん、ありがとうございました。
— posted by chikura @ 10:48PM | LinkMe | Comment(33) | TrackBack(0)

上の記事に対するコメント(ツッコミ)です。

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